おはようございます。
横浜・保土ヶ谷在住のクリパルヨガ教師、堀桃代です。
クリパルヨガとの出会い①の続きを書きます。
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7年前、対人関係上の大きな挫折でPTSDを発症しました。それまでの私は、今振り返ると、大きな挫折を経験せずに生きてこれたのだと思います。
●夢に向けて一直線の学生時代~社会人へ
中高時代は、勉強もそこそこ好きで、部活も楽しく、友人にも恵まれ、充実した学生生活を送ってきました。国際協力を志して目指した第一志望の大学にも合格し、その中で思う存分に探求をして、自分の進みたい道や使命も明確にできました。それは、再生可能エネルギーを普及することで、世の中をもっと平和で持続可能で一人一人が活き活きと生きられる社会に変えていきたいというものでした。
使命に燃えて、再生可能エネルギー普及の実務家になろうと、大学院へ進学し、当時は希少だった再生可能エネルギー普及に取り組むソーシャルベンチャーにも念願通り就職することができました。自分の信念に従って、一直線に進みました。自分にとっては夢を叶える、使命を全うできる環境で、思う存分にチャレンジする日々でした。
↑市民の出資と夢を集めて作った風車の完成を祝うイベントで、完成した風車(ナセルまで70m)にのぼる前にポーズをとる私(北海道、2005年)。まさに夢が形になるのを味わった瞬間でした。
●社会人5年目に大きな挫折、発病、療養生活へ
そんな社会人5年目の終わりに、対人関係上の大きなアクシデントが起こり、そこで大きな挫折を経験しました。当時の私にとっては、非常に受け入れがたい辛い出来事で、天地のひっくりかえるような経験でした。今まで信じてきた世界の善や光の部分が一気に真っ暗になり、世の中のすべてが信じられなくなり、恐怖に怯えました。みるみる体調が悪化し、会社も退職しました。
眠れない、起き上がれない、食欲もない・・というような鬱症状が目立っていたので、はじめは「鬱」と診断され、かなりの量の薬を飲んで、ひたすら寝ているという生活を送っていました。寝たきりの状態でした。
しかし、全然安定しなかったので、1年近く経って転院したところ、はじめて自分の症状に「PTSD」という名前がつけられました。それまで私を苦しませていた、フラッシュバック、自分ではどうにもならないような発作的な怒りや哀しみの衝動、いてもたってもいられないような緊張感や恐怖感、孤立無援で世界から切り離されたような孤立感、身体の不快感・・・いろんなものの存在が認められて安堵したのを覚えています。
(つづく
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※意図せず、なんだか壮大な話に・・・・^^;
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長文を読んで下さり、ありがとうございました
あなたが、呼吸してリラックスして、ますます笑顔でありますように
堀 桃代